
日本の茶農家と、海外の市場をつなぐRikyu Matcha。
CEOの安田瑞希さんは、農家に生まれ、一度その外へ出て、会計やM&Aを学び、30代で植物工場を起業しました。事業を大きくした後にそこを離れ、今、再び農業のそばにいます。
その間に何が変わり、何が残ったのか。
これまでの時間と、今考えていることを伺いました。
抹茶で目指すこと

安田瑞希(やすだ・みずき)
Rikyu Matcha CEO。農家に生まれ、大学卒業後にアメリカで農業を経験。帰国後は会計・M&Aの領域を経て、30代で植物工場事業を営むファームシップを共同創業した。現在はRikyu Matchaを通じ、日本の茶農家と国内外の市場をつなぐ。
佐藤:まず、今はどんな活動をされているんですか。
安田さん: 今は抹茶の事業ですね。Rikyu Matchaという形で、日本の茶農家さんと一緒に、国内だけでなく海外にも抹茶を届けています。
抹茶って、日本では昔からあるものですけど、海外ではまだ新しい飲み方や使われ方がどんどん生まれているんです。カフェで飲まれたり、料理やスイーツに使われたり。国によっても受け取られ方が全然違う。
だから、今あるものをそのまま海外に持っていくだけではなくて、どうすればその土地で自然に受け入れられるかを考えるのも面白いですね。
佐藤:日本にあるものを、そのまま輸出するという感覚ではないんですね。
安田さん: そうですね。もちろん、日本の茶農家さんが持っている技術や品質は大事にしたい。でも、それを続けていくには、新しい市場も必要だと思っています。
伝統や技術を残すことと、新しいマーケットをつくること。その二つは別々ではなくて、つながっている。
Rikyu Matchaでは、抹茶を通してその両方をやっていきたいと思っています。
アメリカ、金融、そして農業へ

佐藤:そもそも、なぜ抹茶に興味を持ったのでしょう。
安田さん: 自分の中では、抹茶というより、ずっと農業に興味がありました。農家に生まれ育ったので、農業は小さい頃から身近にあったんです。
でも、農業が好きだったかと言われると、好き嫌いというフィルターを通して考えたことはなくて。「いつもそこにあるもの」という感覚でした。
子どもの頃は、農家の息子なのが少し嫌だった時期もありましたが。泥臭い仕事だし、サラリーマンの家庭に憧れたりもして。農業は「汚い、きつい、かっこ悪い」の3Kだと言われていて、「汚い」「きつい」は、まあそうだよなと思っていました。
でも、「かっこ悪い」だけは、どこか納得できなかったんです。
一方で、食をつくるという仕事の大切さも分かっていた。
大学も農学部に進んだので、結局、農業はずっと自分の中にありました。
佐藤:そこから、農業との向き合い方はどう変わっていきましたか?
安田さん: 大学を卒業した頃は、農業の道にそのまま進むか、正直決めかねていました。一度、自分の知らない世界を見たかったのもあります。それでアメリカに渡り、2年間、農場で働くことに決めました。
そこで見た農業は、日本で知っていたものとはかなり違いました。もちろん規模も大きいのですが、それ以上に印象的だったのが、関わっている人たちでした。農場に経営者がいて、MBAを持っている人や会計士もいる。
農業が一つの産業として経営されていた。
それを見た時に、日本との違いが土地の広さだけだったら、自分にはどうしようもないと思ったかもしれません。でも、人や仕組みの違いなら変えられる。日本の農業も、まだ変わる余地があるんじゃないかって思ったんです。
佐藤:アメリカから戻った時、次に何をしようと考えていましたか。
安田さん: 農業しか知らないまま農業をやっても、できることは限られると思ったんです。
なので、会計や財務を学び、会計士になりました。その後は外資系会社でM&Aの仕事に携わったりしましたね。自分の中では、いつか農業に戻って何かをするための修業期間という感覚でしたね。
農業へ持ち帰ったもの

佐藤:会計やM&Aを学んだあと、農業とはどんな形で関わっていったのでしょうか。
安田さん: 32歳の時に、ファームシップという会社を共同創業しました。植物工場を軸に、農業の新しい形をつくろうとした会社です。
実家の農業を継ぐという選択肢もありました。でも、それだと今までのやり方の延長になる気がしていたんです。アメリカで農業を経営として見て、その後に会計やファイナンス、M&Aを学んだ。だったら、それを農業と組み合わせれば、今までとは違う仕組みがつくれるんじゃないかと考えたんです。
当時、可能性を感じたのが植物工場でした。工場をつくるだけではなく、人を出して運営し、そこでできた野菜を販売するところまでやる。大企業と一緒に各地で植物工場をつくっていっていましたね。
佐藤:ファームシップでの時間を、今振り返るといかがですか?
安田さん: 6、7年の間に会社は大きくなって、関わる人も増えていきました。大企業と一緒に仕事をする機会も、自然と多くなっていって。
その一方で、ふと「自分は農家さんと向き合いたかったはずなのに」と思うことが増えたんです。
うまくいっていないわけではない。でも、最初に見ていたものから、少しずつ離れているような感覚があった。
その違和感は、だんだん無視できなくなっていきました。
その後2020年にファームシップを離れて、その後に立ち上げたのがRikyu Matchaの母体である、フレンズ株式会社です。次にやるなら、何をするかだけではなく、誰と、どうやって仕事をするかから考えたいと思っていました。
技術を、ひとりに残さない

佐藤:フレンズ株式会社から今のRikyu Matchaには、どうつながっていったのでしょうか。
安田さん: フレンズを始めた時は、実は何をやるかを決めていなかったんです。前の会社での経験もあったので、次はまず、どういう仲間と、どういうカルチャーで仕事をするかを大切にしたかった。もう一つは、グローバルで動けるチームをつくりたいということでした。
最初はソフトウェアをつくっていましたが、そこから少しずつ、自分たちで事業をつくるように。その中で、また農業とも関わるように。
茶農家さんと話していると、技術はあるけれど、次に渡す人がいない。市場も今までと同じままでは続かない。そういうことが見えてくる。
そこで、技術や伝統を残すことと、新しい市場をつくることを一緒にできないかと考えるようになりました。Rikyu Matchaも、その流れの中にあります。
佐藤:そうしてもう一度農業と関わるようになった今、仕事をする上で大切にしていることは何ですか。
安田さん: 一つは、誰と仕事をするか。
フレンズを始めた時も、何をやるかより先に、どういう人たちと仕事をするかを考えました。知識は後から身につけられることも多い。それより、一緒に仕事をする時に何を大切にするのか。そこが近い人とやることは今も大事にしています。
農業の技術についても、似たところがあります。
一人の人が持っている技術を、そのまま次の一人に渡すだけでは、いつか途切れてしまうかもしれない。だったら、チームで持てるようにしたり、仕組みとして残したり、必要なところにはテクノロジーを使う。
同じ形を守るというより、続いていく形をつくることを考えています。
自分の先まで

佐藤:Rikyu Matchaを、この先どんなふうに育てていきたいですか。
安田さん: 自分たちの世代だけで終わるものにはしたくないですね。
今ある技術や歴史を次につないでいくには、それを受け取る人がいて、事業としても続いていく必要がある。人が変わっても回っていくような、崩れにくい形にしていきたいと思っています。
自分がずっとやり続けないと成立しないものではなくて、次の人に渡した後も続いていく。まずは、そこまでつくりたいですね。
佐藤:最後に少し日常のことも少し伺わせてください。花卉農家で育った安田さんにとって、香りは身近な存在かと思います。Lei non electric aroma diffuserは、普段どんなふうに使っていますか。
安田さん: リビングに置いています。もう、かなり生活に溶け込んでいますね。
使おうと思って使うというより、そこにあるから自然に火をつける感じです。キッチンとリビングの間くらいに置いているので、洗い物をしている時に目に入って、そのまま火をつけたり。
回り始めると、あの機構が気になって見てしまうんですよね。火がついている間は、そのまま部屋の中で回っている。
香りも含めて、何か特別な時に使うというより、日常の中に普通にあるものになっています。
編集部ノート
離れていた時間も、遠回りした経験も、振り返ればどこかで今につながっている。
農業の外で得たものを持ち帰り、安田さんは今、抹茶を通してその先を見ています。
残していくために、今の時間に合う形を探すこと。
古くからある感覚を、今の暮らしの中にどう置くか。
その考え方はものづくりとも、どこか重なるのかもしれません。
安田さんの日常に溶け込むnon electric aroma diffuser
Rikyu Matcha Instagram
Rikyu Matcha 公式Web
安田瑞希さんInstagram
関連記事
Lei Journal
語られない背景。
明るさの裏側にあるもの。
静かな重心を持つ人や空間に目を向けることで、はじめて見えてくる価値があります。
Lei Journalでは「陰翳礼讃」という考え方を手がかりに、人、空間、仕事の在り方を記録していきます。
